青葉市子の師匠は?山田庵巳!15歳で出会い15周年で共演した絆!

青葉市子さんが「師匠」って呼んでいる人がいるのを知っていますか?

青葉市子さんの師匠は、山田庵巳さんっていうシンガーソングライターなんです。

青葉市子さんが15歳のとき、山田庵巳さんの音楽に出会って「この人の音楽がすごすぎる!」ってなって、高校生なのに京都から夜行バスで東京までライブを観に通ってたんだとか。

2025年1月の青葉市子さん15周年コンサートには山田庵巳さんがサプライズで登場して、ファンみんな泣いちゃうくらい感動的でした。

青葉市子さんのあの透明な歌声や不思議な世界観って、実は山田庵巳さんから教わったことがたくさん詰まってるんです。特に「機械仕掛乃宇宙」っていう20分もある長編の曲を聴いて、青葉市子さんは「私もギターを弾きたい!」って思ってクラシックギターを始めました。

じゃあ二人はどうやって出会ったの?どうして師匠と弟子の関係になったの?

この記事では、山田庵巳さんと青葉市子さんの素敵な師弟ストーリーを紹介していきますね。

アワクモ

青葉さんとマヒトゥさんの関係はこちらから!

目次

青葉市子の師匠は誰?

青葉市子さんの師匠は、先ほど紹介したように、

シンガーソングライターの山田庵巳さんです。

青葉市子さんの師匠の山田庵巳さんは8弦クラシックギターを使って、物語と音楽を融合させた独特なスタイルで活動してるシンガーソングライターで、一度ライブを観たら忘れられないくらい圧倒的なんですよ!

まず初めに山田庵巳の簡単なプロフィールをご紹介します。

山田庵巳プロフィール

青葉市子さんの師匠、山田庵巳さんのwiki風プロフィールはこちら!

項目内容
名前山田庵巳(やまだ あんみ)
生年月日1976年9月25日
出身地長野県長野市
使用楽器8弦クラシックギター
音楽スタイル語りと歌を融合した長編物語楽曲
所属クロポワレチケ楽団、ふれでりっひ書院、吟遊詩人協会
ソロ活動東京・新高円寺「STAX FRED」で毎月ワンマンライブ「お月さまの夜更かし」開催
バンド活動「ふれでりっひ書院」でジャズ風ポップスを演奏
特徴弱視のため楽譜を使わず演奏

次に、青葉市子さんの師匠山田庵巳さんの特徴である、8弦ギターについて詳しく紹介します。

8弦ギター

青葉市子さんの師匠・山田庵巳さんの一番すごいところは、

8弦のクラシックギターを使ってることなんです。

普通のクラシックギターは6弦なんですけど、山田庵巳さんは低音弦が2本追加された8弦ギターで、ベースみたいな深い音も同時に出せちゃうんですよ。

初めて聴いたときは

え、一人で演奏してるの!?

ってびっくりするくらい音に厚みがあります。

しかも山田庵巳さんは弱視なので、楽譜を一切使わないんです。全ての曲を記憶して演奏するスタイルは、まさに中世ヨーロッパの吟遊詩人そのもの。

青葉市子さんも山田庵巳さんのライブを観て、「ギターと音楽が完全に一体化してる」って感動したそうです。

もう一つ山田庵巳さんの特徴があるので、そちらもご紹介します!

20分超の曲

青葉市子さんの師匠・山田庵巳さんの音楽で一番魅力的なのが、

語りと歌を組み合わせた長編楽曲なんです。

普通の曲って3〜5分くらいですよね?でも山田庵巳さんの代表曲は20分を超えるものばっかりで、もはや一つの映画を観てるみたいな感覚になります。

  • 機械仕掛乃宇宙
  • 羊のアンソニィ
  • 窓辺のダンスホール

この3曲も、どれも物語を語りながら歌うスタイルで、まるで一人で舞台を演じてるみたいな迫力があるんです!

ギターの演奏だけじゃなくて、声色や間の取り方も全部計算されてて、音楽全体で一つの世界に引き込まれちゃうんですよね。

山田庵巳さんの音楽は音源がほとんどサブスクに配信されていないので、ライブに行かないと聴けない曲がたくさんあるのも特別感があります!

じゃあ、青葉市子さんはどうやって師匠となる山田庵巳さんと出会ったんでしょうか?

青葉市子と師匠・山田庵巳の出会いは?

青葉市子さんと山田庵巳さんの出会いは、青葉市子さんがまだ中学生だった15歳のときでした。音楽にそこまで興味がなかった青葉市子さんが、山田庵巳さんの音楽を聴いた瞬間に人生が変わったんです!

15歳で出会う

青葉市子さんと山田庵巳さんの出会いは青葉市子さんが15歳中学生のときでした。

青葉市子さんは友達からもらったライブチケットで初めてライブハウスに行ったんですが、モッシュでもみくちゃにされて困ってたところを助けてくれた人がいたんです。実はその青葉市子さんを助けてくれた人のバンドメンバーに、山田庵巳さんがいました

青葉市子さんはそのバンドのライブを観て、山田庵巳さんの音楽に初めて触れ、

「自分が本当に好きな音楽ってこういうものなんだ」って、人生で初めて感じた瞬間だったそうです。

山田庵巳さんの音楽に初めて触れた青葉市子さん、その後の行動もすごいんです。

夜行バスでライブに通う

山田庵巳さんのライブは東京で開催されることが多くて、京都に住んでいた青葉市子さんは高校生になってからアルバイトを掛け持ちしてお金を貯めました。

そして山田庵巳さんがライブをやるたびに、新幹線や夜行バスで東京まで観に行ってたんです。

「バイト代を貯めて東京に行って、ライブを観て、夜行バスで京都にとんぼ返り」っていう生活を、青葉市子さんは17歳まで続けました。

普通の高校生が遊んだりデートしたりする時間を、全部山田庵巳さんのライブに注いでたんだね。

当時の青葉市子さんにとって、山田庵巳さんの音楽が全てだったのがよくわかります。

でも、ただライブを観に行くだけの関係から、どうして青葉市子さんは山田庵巳さんの弟子になったんでしょうか?

山田庵巳が青葉市子の師匠になったきっかけは?

青葉市子さんと山田庵巳さんの関係が「ファンと憧れの人」から「師匠と弟子」に変わったのは、一つの楽曲がきっかけでした。

山田庵巳さんの代表曲「機械仕掛乃宇宙」との出会いが、青葉市子さんの音楽人生を決定づけたんです。

ソロ演奏を見て衝撃!

青葉市子さんが17歳になったとき、山田庵巳さんがバンドだけじゃなくて、8弦クラシックギターで弾き語りのソロ活動もしていることを知りました。

青葉市子さんはソロライブに行って、初めて山田庵巳さんの8弦ギターを間近で観て、声も楽器の一部みたいに完璧に融合してることに魅了されます。

人生を変えた『機械仕掛乃宇宙』

そして、山田庵巳さんのソロライブで青葉市子さんが聴いたのが、「機械仕掛乃宇宙」という20分近い長編楽曲でした。

「あるところに、決して太陽の昇らない街がありました」っていう語りから始まって、SF映画みたいな壮大な物語が音楽と一緒に展開されていくんです。

青葉市子さんは「機械仕掛乃宇宙」を聴いて、

この曲を自分でも弾きたい!

って強烈に思ったそうです。

それまでギターなんて触ったこともなかったのに、帰ってすぐヤマハのジュニアサイズのクラシックギターを買ったんです。

師匠の曲を弾きたいっていう気持ちが、青葉市子さんをギタリストへの道に進ませたんですね。

自分の曲を作る

青葉市子さんは京都で一人で「機械仕掛乃宇宙」を練習して、覚えた部分を東京でのライブのときに山田庵巳さんに聴いてもらいました。

教則本は買ったけどほとんど使わなくて、全部自己流で弾いてたそうです。

山田庵巳さんは青葉市子さんが一生懸命コピーした演奏を聴いて、ギターの弾き方とか音の出し方を教えてくれました。

そして青葉市子さんが山田庵巳さんの曲をある程度弾けるようになったとき、

師匠の山田庵巳さんは「自分の曲も書いてみたらどう?」ってアドバイスをくれたんです。

この一言が、青葉市子さんを「ただギターを弾く人」から「シンガーソングライター」に変えた瞬間でした!

じゃあ、青葉市子さんは師匠の山田庵巳さんから具体的にどんなことを学んだんでしょうか?

青葉市子さんが師匠からもらったもの5つ

青葉市子さんが師匠の山田庵巳さんから学んだのは、ギターの弾き方だけじゃないんです。音楽に対する考え方とか、世界観の作り方とか、音楽家としての根っこの部分を全部教わったんですよ。ここでは、青葉市子さんが師匠の山田庵巳さんからもらった5つの大切なものを紹介します。

①曲作りの応援

青葉市子さんが今シンガーソングライターとして活動できてるのって、山田庵巳さんの「自分の曲を書いてみたら?」っていう一言があったからなんです。

それまで青葉市子さんは、ただ師匠の曲をコピーして弾くことしか考えてなかったんですよね。でも山田庵巳さんは

「君にも書けるよ」

って背中を押してくれて、青葉市子さんは初めて自分の曲を作り始めました。

最初は怖かったらしいんですけど、山田庵巳さんが「いいね」って言ってくれるのが嬉しくて、どんどん曲を書くようになったんです。

この一言がなかったら、今の青葉市子さんはいなかったかもしれないって思うと、すごいですよね。

②「沈黙」と「間」を大事にする事

山田庵巳さんの音楽で個人的に一番好きなのが、音が鳴ってない「間」をめちゃくちゃ大事にしてるところなんです。

青葉市子さんも師匠である山田庵巳さんから

「音が生まれる前の空気感が大事なんだよ」って教わりました。

青葉市子さんの曲を聴くと、歌と歌の間にふっと沈黙があったり、ギターの音が消えてから次の音が鳴るまでに少し時間があったりしますよね。あの「間」が最高に心地よくて、聴いてるこっちの呼吸も自然とゆっくりになるんです。

音楽って音だけじゃなくて、音がない瞬間も含めて一つの作品なんだって、青葉市子さんは師匠の山田庵巳さんから学んだんですよね。

③世界観の作り方

山田庵巳さんの「機械仕掛乃宇宙」みたいに、

お話と歌を混ぜて一つの世界を作るやり方も、青葉市子さんにめちゃくちゃ影響を与えてるんです。

山田庵巳さんは曲の中で物語を語りながら、聴いてる人の頭の中に映像がブワーって浮かぶような音楽を作るんですよ。

青葉市子さんの曲も、まるで絵本を読んでるみたいに風景が浮かんできますよね。音楽で世界観を作る魔法みたいな方法を、青葉市子さんは師匠の山田庵巳さんから学んだんです。

④長編楽曲の作り方

青葉市子さんが師匠・山田庵巳さんの「機械仕掛乃宇宙」をカバーしたことで、長編の物語楽曲を作る手法を完全に自分のものにしました。

山田庵巳さんの18分を超える壮大な曲を何度も演奏するうちに、

「語り」と「歌」をどう組み合わせるか、物語をどこで区切ってどこで盛り上げるかっていう構成力が身についたんだと思います。

青葉市子さんのオリジナル曲も、短い曲でも物語が見えるような作りになってるじゃないですか。曲の中に起承転結があって、聴き終わったときに一本の映画を観たような余韻が残る。

師匠である山田庵巳さんの「機械仕掛乃宇宙」を何年も演奏し続けたことが、青葉市子さんの作曲スタイルの土台になってるんです。師匠の山田庵巳さんの代表曲を通じて、物語を音楽で表現する方法を完璧に学んだって感じですよね。

⑤大貫妙子さんとの繋がり

今では青葉市子さんが大貫妙子さんのファンであるというのは有名な話ですが、

実は青葉市子さんが大貫妙子さんの音楽を知ったのも、山田庵巳さんがきっかけだったんです!

山田庵巳さんは2008年に大貫妙子さんのカバーアルバム『音のブーケ』に参加してて、青葉市子さんに「きっと君は大貫さんの音楽も好きになると思うよ」って勧めたんですよ。

青葉市子さんは師匠の山田庵巳さんに言われて大貫妙子さんのアルバム『Cliche』を聴いて、本当に大好きになっちゃいました。好きな音楽を教えてくれるのも、師匠の素敵な役割ですよね。

師匠の山田庵巳さんから学んだことが、こんなふうに青葉市子さんの音楽に息づいてるんですが、今も二人の関係は続いてるんでしょうか?

山田庵巳は今も青葉市子の師匠なの?

青葉市子さんが世界的なアーティストになった今でも、山田庵巳さんとの師弟関係は続いてるんです。お互いに尊敬し合いながら、時には一緒にステージに立つこともあるんですよ。

15周年コンサートで共演!

2025年1月20日、青葉市子さんの15周年記念コンサートが東京オペラシティで開催されました。豪華なホールで青葉市子さんの透明な歌声が響き渡る中、「ここで、ゲストをお呼びしたいと思います」っていうアナウンスがあったんです。

ステージに運ばれてきたのは、8弦のクラシックギター

会場にいたファンは「まさか...!」って思ったらしいんですが、本当に山田庵巳さんが登場したんですよ。

青葉市子さんが「山田庵巳さんです」って嬉しそうに紹介して、会場は感動で涙する人だらけだったそうです。

アワクモ

私も書いてて泣きそうでした…

15年間の音楽人生を振り返る特別な日に、師匠の山田庵巳さんをゲストに呼ぶなんて、青葉市子さんにとって師匠の山田庵巳さんがどれだけ大切な存在かが分かりますよね。

弟子から音楽仲間へ

青葉市子さんは今や世界中でライブをする有名アーティストになりましたが、

山田庵巳さんのことを今でも「師匠」って呼んでるんです。

でも、関係性は昔とはちょっと変わってきてるみたいなんですよね。

最初は「教える人」と「教わる人」っていう一方通行な関係だったのが、

今は音楽を通じてお互いに響き合う対等な関係になってる感じなんです。

青葉市子さんは自分のスタイルを確立して、師匠とは違う道を歩いてるんですけど、根っこの部分では師匠・山田庵巳さんから学んだことがずっと生きてる。

青葉市子さんと師匠山田庵巳さんの師弟関係って、音楽を超えた素敵な絆だなって思います。

まとめ

青葉市子さんの音楽の根っこには、師匠の山田庵巳さんから学んだことが全部詰まってるんです。

15歳で運命的に出会って、夜行バスで通い続けて、師匠である山田庵巳さんの「機械仕掛乃宇宙」に衝撃を受けてギターを始めて、今では世界的なアーティストになった青葉市子さん。

でも、青葉市子さんはどれだけ有名になっても山田庵巳さんを「師匠」って呼び続けてるのが素敵ですよね。青葉市子さんと山田庵巳さんの師弟関係を知ると、青葉市子さんの音楽がもっともっと深く聴こえてくると思います。

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